日本に写真技術が伝わったのは幕末でした。それまで浮世絵や図会など大きく誇張した現実とは違う風景や人の姿が、自分の目で見たそのままの”写真”は、今の人が思う以上に不思議なものだったでしょう。
幕末期に日本に滞在し多くの写真を残したF.ベアトや上野彦馬から始まり、居留地外国人向け絵葉書で大きく普及した写真は、幕末・明治期の姿を数多く記録しています。その中から多くの写真が残る「横浜」の風景写真の撮影地点をGoogleストリートビューで巡ってみました。150年、ヨーロッパではほとんど景観が変わらない場合もありますが、スクラップ・アンド・ビルドで景観思想のない日本は、名残を探すのすら難しく悲しい変貌を遂げていました。
「神奈川宿」
旧東海道、青木橋を超え浮世絵にも描かれた田中家を過ぎると「神奈川台関門跡」の石碑があります。右手が台町で左崖下は海でしたが、現在は埋め立てられ横浜駅になっています
「生麦事件の現場」
生麦駅の東、生麦小学校の先にある旧道に「生麦事件発生場所」の案内板があります。田園風景だった場所もよくある住宅地に変貌しています
「元町百段」
前田橋側から今の霧笛楼方面を写したもので、元町百段は霧笛楼横あたりから山手に上がる名所でした。現在山手側に「元町百段公園」という小さな公園があります
「根岸不動坂」
幕末、外国人遊歩道として整備され、根岸森林公園から本牧に下ってゆく坂は、ペリーの母国の風景に似ているとして「ミシシッピ・ベイ」と呼ばれていましたが戦後埋め立てられ岬の下は高速が通っています
「横浜本町通り」
右手に横浜郵便電信局が写る外国のような風景ですが、現在も日本大通りと交差する地点に横浜港郵便局として存在します。奥の塔は横浜町会所で大正時代に建て替えられ横浜市開港記念会館として存在します






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